ジョン:とっても幸せな人生だよ。不満なんて漏らしたらケツに雷が落ちるだろうな。

ジョン:スタジアムでプレイするのと同じくらい、バーでプレイするのも楽しんでるよ。

ジョン:音楽を止めることはないけど、映画もすごく楽しいんだ。

ナレーター:コンサートでも、映画のスクリーンでもJBJは常に公衆の目にさらされたパフォーマーであることを証明し続けています。今回は彼に密着してロックンロールライフを覗いてみましょう。 JBJアンカットへようこそ。トッド・ニュートンです。今日はロックスター、またはムービースターと呼んだ方がいいかな、JBJに焦点をあててみたいと思います。彼の顔はそこら中の宣伝ボードで見ることができるけど、ここハリウッドでは彼をどんな肩書きで呼べばいいのかわからないんだ。今日はちょっと調査してみましょう。

ジョン:(92年10月のインタビュー)スリッパリーは1400万枚も売れたんだ。バカバカしいくらいにね。一気にオレ達は誰も経験したことがないような成層圏まで突き上げられたんだ。それが終わって3週間後にはニュージャージーの曲を書き、スタジオでレコーディングをしたのさ。それがまた1000万枚近くも売れた。そんな風にして走り続けたんだ。あの時を振り返って今だったら認めることができるけど、あの時は「またヒット曲を書かなければ。そうすれば誰もスリッパリーがまぐれあたりだったなんて言わないだろう」って思っていたよ。

ナレーター:BJは1984年に最初のレコードを出しました。イタリア系のJBJはNY郊外のニュージャージー州セイヤーヴィルで1962年に生まれました。彼は小さいころからミュージシャンになりたくてギターを習い始めました。彼は片腕のリッチー・サンボラや他のメンバーと共に数々のアルバムに伴う240の公演をしてロック人生をかけぬけてきました。

ジョン:オレ達は一緒に子供の頃からの夢を叶えた。これは素晴らしいことだよ。こんな感覚は親とも妻とも兄弟とも味わえない。メンバーはお互いを信じてやり遂げたんだ。

ナレーター:バンドが成熟したのと同じにジョンの曲の歌詞も成熟したと言います。

ジョン:(95年のインタビュー)レコード契約を結んだ20才の時はハイスクールを出たてで、書くことといったらそれまでのことしかなかったけど、今は32才になって見てきた世界のことを書けるようになった。それがこのアルバムでやったことさ。いくつかは個人的な曲でいくつかは創作だけど、オレ達の「最近」の集大成さ。

ナレーター:子供の頃、彼は野球の選手や警官や宇宙飛行士にあこがれながらニュージャージーで育ちました。母親は元プレイボーイのバニーガールで、父親は美容師でした。ジョンはよく父親が切ってくれた髪型のことでジョークをとばしていました。一部の人間はジョンの髪型に音楽同様高い関心を寄せていました。

ジョン:(92年のインタビュー)髪なんてどうでもいいんだ。たいしたことじゃないよ。ジョンが髪を切った!って騒ぐ人もいるけど、オレはそんなことどうでもいいんだ。髪のせいで曲が書けなくなったなんてことはないし、ナンセンスだよ。でも思ったよりみんなには衝撃的なことだったみたいだね。

ナレーター:髪型のことは90年代に面白おかしく語られましたが、それよりも人々はバンドが解散するのではないかと心配していました。彼はソロアルバムの制作を発表し、その頃、アメリカをバイクで回りました。バンドの曲をほとんど書いていた彼はその旅での経験をKeep the Faithアルバムに反映させました。

ジョン:(92年のインタビュー)去年の夏、オレはひたすら飲んだくれて、ただひたすら事態が良くなるのを祈りながら明日を待っていた。灰色の夏だったよ。ちっとも良い時代じゃなかった。そして曲が出来上がった時、今だと思ったんだ。この曲達を世にださなければ、すべてのことを清算して、この曲達を世に出さなければと思った。ニュージャージーツアーの後ではできなかったね。

ナレーター:CMの後はなぜジョンがグループでの成功があるにも関わらずソロ活動をしなければならなかったかに迫ってみようと思います。

ジョン:バンドはうまくいってるし、調子も良いからこそ、他でいろいろ経験したことをバンドに持ち帰ることができるんだ。

ナレーター:物事の本当の姿を見極める時に一歩下がって深呼吸をしてから見直すほうがよく見えることがありますよね。ちょうどここから見るハリウッドサインのように。ジョンがしたことはそれと同じことでした。バンドを休止することでミュージックをもう一度見直し、自分のものにしたのです。

ジョン:(91年のミュージックアウォードで受賞トロフィーを持ちながら)タフな仕事に見える?タフじゃないよ。全然。この仕事を持てる人誰にでも強く勧めるよ。

ナレーター:16ヶ月237日間のニュージャージーツアーを終えた後、バンドはそれぞれの道を歩み始めました。ジョンはヤングガン2のサントラとして曲を提供し、驚異的なヒットを飛ばしました。テーマ曲のBlaze of Gloryはゴールデン・グローブに選ばれただけでなく、ミュージックアウォードやオスカーやグラミーにノミネートされました。ジョンはバンドの有無に関わらず商業的にも成功したのです。ソロ活動に選択の余地はなかったけれど、結果 的にバンドに良く反映されたと言います。

ジョン:(92年のインタビュー)オレが1983年にレコード契約を結んだ時は20才だった。そして今は30才だけど、高校を出てたった2年で世界を見る機会に恵まれたことは最高のギフトだったと思う。オレは世間の目の中で育った。公衆の目にさらされて育つのを強いられる子役ほど子供ではなかったけど、似たようなものだったよ。そんなふうに長い間生きてきて、いままでで5枚、今度で6枚目のアルバムなわけだけど、やっと画家が一歩下がってキャンバスの中に何が描かれているのか見極めるように物事を見ることができるようになったんだ。もう一度キャンバスの前に戻って描き始める前にね。ニュージャージーツアーの後すぐにはkeep the Faithを作ることはできなかっただろう。Blaze of Gloryをバンドで作ることもできなかったと思う。とにかく無理だったんだ。

ナレーター:1997年、彼は次のソロアルバムをつくりました。最近需要が高まっている映画スターとして映画に関わっている時、彼は待ち時間をたっぷり使って新しい曲を書くことができたのです。

ジョン:(97年のインタビュー)アルバムに入れるための最初の10曲はトレーラーの中で書いたんだ。人はセットやリハーサルの間の待ち時間が死ぬ 程つまらないだろうと聞くけど、一人になれるトレーラーの中での時間がすごく好きだったよ。だって今までのオレの生活は結婚して妻がいて子供がいて、バンドがいて、その前は両親と暮らしていたから今まで一度も一人になったことがなかったんだ。だからすごく貴重な時間だった。腰をすえて曲を書くことができたよ。

ジョン:Destination Anywhereはそのトレーラーのなかで書いたんだ。オレはそのトレーラーを買い取って自分の家の庭に置きたいとさえ思ったよ。大きな家の庭に回るとトレーラーが置いてあって、あれがジョンのすみかだよ、あそこでアルバムが作られたんだ、なんてね。

ジョン:バイクでアメリカを何度か回ったけど、本当に行き先はどこでもいいんだ。着いた街で寝て、人々と言葉をかわし、いろんなものを見て、アリーナもなければ飛行場もない。ロックバンドとしての生活とは無縁な日々。それを曲に反映させたかった。考えとしてはちょっとバンドから離れて全く新しいことを始めたかったんだ。右へ行こうが、左へ行こうが関係なくね。

ナレーター:アルバムのタイトルはDestination Anywhereというロマンチックなものですが、ジョンの実生活はそれとはかけ離れています。シンガーとしてアルバムをサポートするツアーが組まれているのです。

ジョン:朝起きて6時30分には宿を出て、6時35分には飛行機に飛び乗って6時間かけてオレゴンのポートランドまで飛んで、叫んでいる1000人のファンに向けて1時間演奏した後、また飛行機に飛び乗りシアトルへ飛び、アコースティックを演奏し、シアトルから今度はツーソンへ。ツーソンでは夜と明朝に仕事だ。それが今日だよ。

ナレーター:飛行機に乗る姿以外に、普段バンドでプレイするスタジアムよりもずっと小さなセットでアコースティックをプレイする姿も見られます。

ジョン:大きいツアーがないときに特別かつユニークなこういうスタイルでアコースティックをファンの街まで行ってやるのは、いままでレコードをプレイしてくれた恩返しでもあるんだ。

ナレーター:彼は確かにお礼をしています。ショーという形だけでなくしばしば無料で。例えばサインをするなどしてファンと過ごす時間を作っています。

ジョン:ファンはとてもフレンドリーで「Hi」を言うために何時間も待っててくれるんだ。だからなるべくできることをしようと思うんだ。バンドの連中も仕事だと思ったことはないと思う。簡単なことだしね。それにファンの立場で考えてみると、オレだって子供の時からファンだった憧れのシンガーと写 真を撮れる機会に恵まれたら嬉しいからね。ファンの気持ちはわかるよ。

ナレーター:バンドがいてもいなくてもJBJはプライベートジェット機を持っていますが、世界をかけめぐるロック、ムービースターには当然の交通 手段でしょう。

ナレーター:CMのあとはハイスクールスイートハートとの本物の愛の物語をお届けしましょう。

ジョン:他の誰かと出かけるよりも妻と出かけた方がいい。だって彼女はオレが知っている他の誰よりも一緒にいて楽しい人だから。

ナレーター:ミスター・ボンジョヴィがこれまで一度もメジャーなスターになることを望んだことがないと言ったら、びっくりする人もいるかもしれませんね。明らかに彼はメジャーなロックスターになったわけだけれど、彼は今、他の役割も担うことになったのです。それはムービースターとしての役割です。そして今ここハリウッドで彼はとても注目を集めています。彼はムービースターになるためにあらゆる努力をしていると皆言っています。

ジョン:予算はどうでもいいんだ。1000万ドルでも、1億ドルでも、100万ドルでもね。映画を作るプロセスが好きなだけなんだ。

ナレーター:バンド仲間にも黙っていた3年間の演劇レッスンを終えて、彼はついに1995年の映画「ムーンライト&ヴァレンチノ」で初めて台詞がある役を勝ち取りました。

ナレーター:そして「ホームグロウン」、「リトル・シティ」「リーディングマン」へと進んで行きました。

ジョン:オレ達はアートをもっと追求してるってことなんだ。例えば、オレのドラマーのティコは、画家になったし、オレにとって演技はもう一つの声を見つけたようなものさ。書かなくていいし、プロデュースしなくていいし、マネージメントもしなくていいし、すごく解放されることを見つけたんだよ。

ジョン:(リトルシティの撮影現場)もう11時だよ。ここに13時間いるんだ。これから次のシーンを始めるところ。

ナレーター:ジョンの映画への思いはバンドとのツアーでのスペアタイムから来ています。

ジョン:ステージでの3時間はとても幸せだけど、残りの21時間は実にみじめなものさ。だからツアー中はよく映画を見ていたんだ。

ジョン:スピルバーグとか、著名なディレクターと仕事をする機会があったら光栄だよね。喜んでお願いしたいよ。

ナレーター:ジョンが俳優活動を初めるやいなや、ボン・ジョヴィはなくなってしまうのではないかという噂が流れました。

ジョン:(コンサートのMC)噂がすごい大袈裟に誇張されてるんだよな。

ナレーター:でもジョンはそれが音楽活動の終わりではないと言います。

ジョン:音楽がいつだって一番だよ。だって、自分が書いたものは永遠に残るんだから。

ナレーター:CMの後は奥様とお子さんをどうやって養っているかに迫ってみましょう。これが一番責任の重いことだよね。大変な仕事だよ。だからロックスターにならない方がいいって知ってたんだ。チャンネルはそのままで。

ナレーター:さて、いままで映画と音楽のことを取り上げてきたけど、彼には養っていく家族もいるわけです。彼は高校時代から付き合っていた奥さんなしではこれまでのことを達成できなかったと言います。

ナレーター:ジョンとドロセアの間には二人の子供がいます。1993年に生まれたステファニー・ローズと、1995年に生まれたジェシー・ジェイムス・ルイスです。ジョンは未来の奥さんとの出合いを覚えているそうです。

ジョン:彼女は歴史のクラスでオレの隣に座っていたんだ。で、実はオレの親友の彼女だったんだけど、彼は海軍に入隊してしまって戻ってこなかった。で、ダメになっちゃったんだけど、他の2、3人の友だちも海軍に入隊して、オレはロックンロールをやるために残ったってわけさ。

ナレーター:結婚して数年経ちますが、彼女は夫のふしだらな噂をユーモアを持って受け止めていると言います。

ジョン:オレにはどうすることもできないよ。そうやって生きて行かないとといけないんだよね。実際、そういうことは気にしてないんだ。オレだってみんなと同じように歯も磨くし、オレ達はそういう噂を一緒になって笑い飛ばしてるよ。

ジョン:オレ達は良い友人でもあるんだ。一緒に出かけることが好きだし、他の誰かと出かけるより妻と一緒に出かけたいよ。だって彼女は他の誰よりも一緒にいて楽しい人だから。

ナレーター:映画スターで、ロックスターで、夫で、父親のジョンは、人生の秘密は簡単だと言います。

ジョン:幸せでいることさ。お金や名声じゃないんだ。自分のやっていることに良い面 を見つけること。そうすれば朝起きた時にハッピーでいられる。

ナレーター:今度、ライブでお気に入りのロックスターを見かけたら、彼は次に歌う曲のことばかり考えているわけではなくて、映画の台詞や、家にいる子供のことや、いろんなことを考えているんだということをちょっと思い出してみて下さい。では、UNCUTを見てくれてどうもありがとう。また次の機会に。あ、マドンナが来た。わかってるよ、僕がやってることが嫌いなんだろ。ごめんよ。写さない方がいいよ、今日はちょっと御機嫌ななめみたいだから。

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