2001年7月にアメリカで放映されたBravo Profileです。ジョン、褒めちぎられまくり(笑)
Jon's a front man, in my opinion he's the best in the business. Still to this day, I'm sitting right next to him and I just go, 'This guy is amazing.' -RICHIE
リッチー「ジョンはフロントマンだよ。オレが思うに、この業界でも一番のね。オレはステージ上ずっと隣であいつを見てきたけど、いまだにこう思うんだ。こいつすげえ奴だ!って」
エリザベス・パーキンズ「次のステップに進むとか、常にもっと良いもの、新しいものを求める以外のことなんて考えられないのよ」
ジョナサン・モストウ監督「ムービースターというのはどういう人間かというと、観客が惹き付けられる、興味をかきたてられて見るのをやめられない、そういう人のことを言うんだ。そして、ジョンはその素質を持ってる」
ナレーター:今回のブラボー・プロファイルはジョン・ボン・ジョヴィを取り上げます。ジョン・ボン・ジョヴィという名前は、ルックスが良くて勢いのある曲で80年代を代表した華やかなロックスターというイメージと重なります。
エミリオ・エステベス「ジョンについて言えることは、あいつは確かにスターの素質を持ってるってことさ。すごくハンサムだし、とても存在感があるし、素晴らしい声を持っていて、粘り強さもある」
ナレーター:評論家に好かれることはありませんでしたが、彼の活力溢れるステージについて行く百万もの忠実なファンは彼のメッセージを???????。ジョンは自分のスター性に無関心でいましたが、約20年もの間、その数えきれない能力を時代と共に発展させ、それでいてなお、自分のニュージャージー・ルーツに忠実であり続けました。
ケビン・ベーコン「彼の秘密は、歌もルックスも身のこなしも最高なロッカーなのに、一緒に育ってきたような感覚を与えられるところなんだ」
誰?「彼がステージに出る時は、勢い良く出て行ってそのまま走り続けて止まらないの」
ナレーター:しかしこの走り続けるスーパースターは、ロックスターでいるだけでは満足しませんでした。90年代前半、じっとしていられない性分がハリウッドへ向くエネルギーを生み出したのです。
雑誌編集者「彼が俳優をやりたいと思ったのは、オレは偉大なロックスターだから映画もやらなきゃいけないんだ、とかそういう気持ちだったからじゃないのよね。彼は出て行って、あらゆるオーディションを受けたの。精気にあふれているのよ。」
ナレーター:一度MTVのアイコンとしての座を追われたジョン・ボン・ジョヴィが、どうやってリード・シンガーとリーディングマン(主役)のギャップを埋めていったのでしょうか。
ジョン「個人としての自分を売りにして何かをやってみたかったんだ。だから怠慢にはならなかったよ。いままで仕事としてきたことを続けて太ったエルビスになるつもりはなかったからね」
テロップ:ヒット映画よりもヒップ映画をやりたいんだ 一 ジョン
(車に乗っているジョンがあくびをしている。午前6時7分。)
ジョン「(自分の頬をたたいて)起きろ!」
(同乗者が電話をかけていて、受話器をジョンに渡す。ラジオの生インタビューらしい)
ジョン「ハロー!ああ。今いるところはメキシコのマローラス(?)ってとこさ。映画のセットに向かってるところだ・・・。音楽と映画を交互にやることはオレにとってすごく楽しいことなんだ。50回ショウをやってどれも素晴らしかった。その後、これをやるために呼ばれたんだ」
ナレーター:2001年2月、ジョン・ボン・ジョヴィはロックスターでいる場所とは遠く離れたところで彼の9作目になる映画の撮影を開始しました。仮タイトルは「Los Muertos」。撮影はメキシコ全土におよび、今は人里離れたクゥアクゥア(?)という町にある、廃虚となった砂糖精製工場で撮影が行われています。
ジョン「やぁ。オレ達の新居へようこそ。ヴァンパイアがいたるところにいるよ」
ナレーター:この快活なスパゲティ・ウエスタンで、ジョンは三流のヴァンパイア・ハンターとしてそのキャリアの中でも一番の大勝負に立ち向かうデリック・ブリス(?)を演じます。
ジョン「カメラ回ってないよね?」
カメラマン「いいや」
ジョン「ってことは映らなきゃいけないの?(笑)」
映画評論家オーエン・グレイバーマン「映画というゲームに参加したいと思うロックスターの多くはスターとしての威厳にふさわしい役を欲しがるものなんだ。トミーとかエヴィータみたいにね。でもジョンの方法は違ったんだ。初心にかえって控えめに、小さな役を選んだ。それもキャラクターを重視してね。彼はこれまでのロックスターに比べるとずっと真剣に役者という仕事に向き合っているよ」
(ジョン映画の撮影リハーサル中。ヴァンパイアの格闘シーンを話しあっている)
ジョン「(寝転がって)こうして引っ張られて、彼女がオレの上に乗ってきて・・・」
トミー・ウォレス監督「よし、その姿勢でいこう」
ケビン・ベーコン「ジョンは真剣に役者に取り組んでいると思うよ。本当に本当によくやってるよ。誰かがお膳立てしてくれるのを期待したりしないんだ」
ジョン「(監督に向かって)質問が二つある。ある時点でこれを投げるか、それとも2ヶ月前にスタントを試したように・・・」
トミー・ウォレス監督「彼は良い役者だよ。本当に本当に映画の真髄に自分の役を入り込ませようとしているし、いつもストーリーのことを考えていて、そこに自分の役がどう絡めばストーリーを際立たせることができるか、効果 的にストーリーが語られるにはどうすればいいかを考えているんだ」
ジョン「(アクションシーンの話し合い)・・・それでオレはまだロープを握ってるから身動きがとれなくて、彼女がまたオレを捕らえに来るんだ・・・で、やられちまう」
ジョン「物語を作るのに夢中なんだ。今回の場合は、こういうのはオレがやりたい、やって成長したいと思っていたジャンルの映画じゃなかったんだ。最初からドラマに重点を置いた役を探していたからね。だけど、トミーが興奮しながらもっとインテリジェントでディープな映画にしたいという展望を語ってくれて、今まで見たような、すでに過去に作られているような暗くてグロテスクな映画を目指しているのではなかったところが、オレの興味を引いたんだ」
ナレーター:役者としてやっていくうちに、ジョンはロックスターの常識と全くかけ離れた、役者としての環境の違いを認めなければなりませんでした。
ジョン「音楽業界でやってきたこととは全然違うよ。オレが取り組んでいるのは誰かから渡されたものなんだ。(台本を読んでいる映像が映る)他人が作ったものをやるなんて本当に久しぶりだよ。まるで歌詞を自分なりに翻訳しているみたいな気分さ」
ケビン・ベーコン「彼はショウのためにジャイアンツ・スタジアムに行くだろ。サウンド・チェックをやって、ショウでは5万人の観客が彼の服を剥ぎ取ろうとしてキャーキャー騒ぐ(笑)でも、賭けてもいいけど、映画のセットに行って他の役者と仕事する中でもそういう危険な状況ってのはあるんだよ。監督から物を投げ付けられる時もある。そういうのが彼にやる気を与えたんだと思う。物を作る過程には重要なことだと思うね」
It's a very lonely job being an actor. You're one person alone, you walk on there it's just you. When you have a band, there are four other guys standing with you, fighting the same fight. - JON
ジョン「役者というのは実に孤独な仕事だよ。セットに入れば自分一人なんだ。バンドにいる時は、隣に一緒に戦う4人の男達がいる」
演技コーチ、ハロルド・ガスキン「ジョンがロックスターだということが、役者のキャリアをさらに難しくしている。なぜなら彼はロックスターという看板を背負いながら瞬きするんだから」
ジョナサン・モストウ監督「ジョンはわかっていたよ。役者としてキャリアを積むためにはハリウッドの人々に、映画にジョン・ボン・ジョヴィが出てもその映画を台なしにすることはないということを示さなければいけないんだってことがね。彼の能力がスターの看板より勝っているんだとわからせなければいけなかった」
ジョン「何回言われたかわからないよ。仮面をはずすことなんてできっこないとね。オレはヒゲを剃ろうが、はやそうが全然問題ないよ。だって、それが役者の仕事だろ」
トミー・ウォレス監督「ジョンにとっては新鮮な環境だと思うよ。撮影クルーの中にはジョンのファンがたくさんいるんだ。彼を好きで、尊敬していて、仕事に熱心に取り組む人間だということを知ってる。そしてジョンはそんな仲間の一員なんだ」
ジョン「(昼食をとりながら)チキンとゆでたブロッコリーとミネラル・ウォーター。こんなもんだよ」
共演者「20年も成功してきていながら、地に足がついてる、そんな人間と会うってのはクールな体験だね。ジョンは家庭的でもあるんだ。彼の両親が訪ねて来た時には家族への誠実さがどんなものなのか?????」
ナレーター:家族とその家がいつでもジョンの人生の中心にありました。彼の仕事場所が地球のいたるところにあるにもかかわらず、ジョンはいつも精神的にも物理的にも小さい頃から知っている土地を離れようとはしませんでした。実際、ジョンは高校時代の同級生ドロセアと結婚し、幼少時代に育った家から10マイルも離れていないところに妻と二人の子供と一緒に住んでいます。
ジョン「オレはニュージャージー州のセイヤーヴィルという町で育ったんだ。いろんな人種の2世が住んでる小さいけどなかなか良い町さ。リトル・リーグがあって、くい垣があって、走り回って遊んで、夕食の時間になると父親が口笛を吹いて呼びにきて、町に灯りがともると家に帰る時間」
ナレーター:ジョンは1962年3月2日、ジョンとキャロル・ボンジォヴィの3人の子供の長男として生まれました。
ジョン「父は美容師で、母はいろんな仕事をしていたよ。花屋をやったり、ある時にはギフトショップをやったりね。オレは最初の20年間はあの町から出ようとしてて、次の20年間はあの町に戻ろうとしてたんだ」
演技コーチ「彼は生まれ育ったニュージャージーから去ろうとしなかった。何も捨てようとしなかった。彼が今でも人間らしい理由はそういうところにあるんだ」
雑誌編集者「ある時点で何かが彼を捕らえたんだと思うの。本の影響とかそういうのではないかもしれないけど、人生で何か大きいことをしてみようと思うきっかけになった出来事があったんじゃないかしら。それに凄く影響を受けたのだと思うわ」
ジャーナリスト「ただ野心的な人のようには見えなかったわね。とても明確なアイデアを持って、突出した存在になろうとしていたわ」
ジョン「どんな両親も子供に『あなたは大統領にだってなれるのよ』って言うよね。オレは『うん、わかった』って、それを間にうけて育ったんだ(笑)。ただ信じて疑わなかったんだ。レコードを作るだけじゃなく、自分がそうしたければずっとレコードを作り続けていけるようになるんだって」
(メキシコの風景に移る)
スタッフ「(無線で)着陸地の様子はどうだ?」
無線「もうそこで待ってるのか?」
ジョン「今日は唯一のオフの日だよ。何をするかって?本業に戻るのさ」
(インタビュー映像に戻る)
ジョン「映画をやってる時は音楽のことは考えたくない。音楽をやってる時は映画のことを考えたくない。そして数カ月に一度この二つが合わさるんだ」
ジョン「(ヘリコプターに歩いて行きながら)手に入れられるんなら良い仕事だよ。」
リポーター:ジョンの本業はボン・ジョヴィというバンドのフロントマンです。今日はレコード店に集まるファンにアコースティック・ショウを披露するためにメキシコ・シティへ飛びます。世界のどこへいようとも、彼が有名なミュージシャンだということは忘れられることがありません。
ジョン「(ひとりごと)オーケー、店に入るだろ、そしてプレイする・・・何をやるか全然考えてないよ。何をやろうか?古い曲をやるか、新しい曲をやるか・・・。(すました感じで)今日のオレの声の調子はどうでしょう?これはとても興味深い問いです。これから明らかになります(ニヤリ)」
演技コーチ「彼はプレイする時、恐れることがないんだ。3万人だろうが7万人だろうが、こいよ、オレを捕まえてみな、ここにいるぜって感じなんだ」
ジョン・カロドナー「スーパースターとしても、フロントマンとしても、彼は尽くす人間だし、それでいて、?????? 毎晩2万、6万という人に向けてプレイする場合、それは良いコンビネーションになるんだ」
ジョン「こういうのがとてもいい息ぬきになってるんだ。弾き語りをするのはすごく楽しい。10分ほどプレイしてすぐに移動しなきゃいけないけど、自分が何をして食べていってるのか思い出すからね」
(バンドのリハーサル風景に移る。ジョンはBURRN!の表紙で着ていたラベンダー色のセーターにテンガロンハット姿でギターを引いている)
ナレーター:ジョンの映画の撮影スケジュールに合わせてボン・ジョヴィはツアーを一時休止していました。バンドが顔を合わせるのは4ヶ月ぶりです。
リッチー「(肩からカバンをさげて部屋に入ってくる。大きく手を広げてジョンに挨拶)ハーイ!」
ジョン「(握手した後抱き合って)ハウアーユー?!」
リッチー「ハウユードゥーイン、パル?!会えて嬉しいよ。調子はどう?」
ジョン「準備バッチリだよ」
リッチー「戻って来たぜ!ウィーアーバック!」
ナレーター:その復活と人気が合わさって、2000年の夏に発売された最新作Crushは全米でダブル・プラチナムを獲得し、コンサートチケットは全国でソールドアウトになっています。今、彼らはリハーサルスタジオに戻り、ワールドツアーを再開する前の調整に入りました。
ジョン「幸運なことにオレの周りには長い間一緒にやってきた人間がいっぱいいるんだ。キーボード・プレイヤーのデイヴは16の頃から一緒だし、リッチーは83年からいたし、ティコとヒューイはRunawayを一緒にプレイしてた。仲間内には決して死に絶えることのない特別 な忠誠心があるんだよ。山も谷も乗り越えてこられた最大の理由はそこにあるんだ」
ギター・テク、トム・ホーランド「ジョンとは古い付き合いさ。18才の頃からだ。ガキだったよ。いつも一緒につるんでた。楽しかったね。70年代、80年代、音楽やる奴の最高の居場所はアズベリーパークだった」
(Wild Is The Windが流れる)
テロップ:大学に行ったことはない。「Louie, Louie」の弾き方を学ぶために両親の金を費やして4年間を無駄 にする必要なんてなかったからね 一 ジョン
1979年、ジョンはまだ高校生でしたが、アズベリーパークのクラブ・サーキットでレギュラーとしてプレイしていました。
リッチー「あの頃のニュージャージーは栄えていたよ。飲酒は18才で認められていたし、月曜の夜にミュージシャンとして仕事ができたんだ」
When you look at the Southside Johnny or Bruce or Little Steven, that was the ultimate goal. Because they made records, and they made records in my backyard, that gave me a feeling that the impossible was possible. - JON
ジョン「オレ達はジャージー・ショアにいて、サウスサイド・ジョニーやブルース・スプリングスティーン、リトル・スティーブンを見ているうちに、あの姿こそ最終目標だと思うようになったんだ。彼らがレコードを作っていたから、それもオレにとってすごく身近な裏庭で作っていたから、不可能が可能なことに思えたんだ」
ジャーナリスト、タッド・フレンド「アズベリーパークは彼にとってとても大切な場所だったんだと思う。サウスサイド・ジョニーやブルース・スプリングスティーンは彼のアイコンだったからね。だからスプリングスティーンがプレイしていたストーン・ポニーは?????みたいなものだったんだ」
ジョン「オレがよくプレイしてたクラブは実際のところストーンポニーじゃなくて、ファースト・レーンという所だったんだ」
ナレーター:ジョンはアトランティック・シティ・エクスプレスウェイというバンドを結成して、その中には現在もボン・ジョヴィのメンバーであるキーボード・プレイヤーのディヴィッド・ブライアンもいました。写 真家のパット・セリは今でもそのころのステージ上のジョンのことを覚えています。
写真家、パット・セリ「あの頃ジョンは16才で、飲酒は18才からだったから、クラブに入れないってことを知らなかったのかもしれないな(笑)、次の朝学校に行くんだけど、必死に目を開けていようとしてるのを悟られないために彼はいつもサングラスをしていたよ(笑)」
ジョン「両親は少なくともできる限りの範囲で応援してくれていた。『お前が朝の3時にバーにいても少なくともどこにいるかはわかってるから』ってね」
パット・セリ「ジョンはステージで生き生きしてた。歌に没頭していたよ」
リッチー「ステージに出て行って観客に勝たないといけないんだ。それが毎晩のことなんだ。ただ出て行って突っ立ってればいいわけじゃない。そういうのをシューステァーリー(?)っていうんだけど、もしニュージャージーでシューステァーリーになってたら次のバンドが出てきて尻にケリを入れられるのがオチさ(笑)」
ジョン「とても良いコミュニティだったよ。日曜日にはジュークスの面々がボードウォークを歩いているのを目撃したり、ブルースがやってきては、あらゆるバンドとプレイしたりしてたんだ」
パット・セリ「ある日ブルースがバンドをチェックしにやってきたんだ。すると『Promised Land』のオープニング・ハーモニカのコードが聴こえてきた。たぶんブルースは良い機会だと思ったんだろうね。黒いレザージャケットを着たブルースが人ごみをかき分けてそこのステージにかけあがったんだ。あの『Promised Land』は忘れられないね(若いジョンとブルースが一緒にプレイしている画像が映る)」
ジョン「次のステップで成功をおさめている男が励ましの言葉をかけてくれたんだ。16才、17才になろうという時に一生カバー・ソングをやっていてはいけないと教えられた。書きはじめろ、何か独自のものを作り始めろとね。そうやってアズベリーパークの小宇宙を世界に広げたんだ」
ナレーター:1982年、20才になったジョンはレコード契約を望んでクラブでの演奏をやめて働きに出ました。ニューヨークのレコーディング・スタジオで働きながら、彼は「Runaway」という曲が入ったデモを録音しました。
ジョン「ロングアイランドのラジオ局にそのデモを持ち込んだんだ。正面玄関を入ったところでDJと会って、テープを聴いてもらって、そしたら気に入ってくれて、それで何が起こったかと言うとまぐれ当たりさ。全国的にブレイクしたんだ」
ナレーター:ラジオでの予想外のRunawayのヒットに、ジョンは早急にバンドを作りこの成功を生かそうとしました。最後にバンドに加入したのは、リード・ギタープレイヤーのリッチー・サンボラでした。
リッチー「ニュージャージーのファウント・カジノというところに行ったんだけど、足を踏み入れた途端に、『あのガキはスターだ!』って言ったんだ。直感だった」
ジョン「思い返して彼が言うには、あいつはオレに何かを感じたらしいんだ。一緒にやっていけると思ったらしい」
リッチー「だからショウが終わると楽屋に行って、(おどけながら)ハーイ!オレはリッチー・サンボラ!オレ、このバンドに入るべきだと思うんだ、って言ったんだ」
ジョン「最初、なんだかこじゃれた奴だなと思って、あまり興味がなかったんだ」
リッチー「でも2週間後に一緒になって・・・あとは御存じの通り」
ナレーター:86年にリリースし1200万枚以上を売り上げたSlippery When Wetで、BJは一躍有名になり、ジョンはロック界に君臨する存在となりました。
It was one of those moments where a star is born with the marriage between music and the times. That was the perfect union. - DESMOND CHILD
デズモンド・チャイルド「音楽と時代の結婚によってスターが生まれた瞬間だった。完璧にマッチしたんだ」
ジャーナリスト「町から町へと何度か彼らのツアーに同行したわ。その情景といったら、想像どおりの典型的なロックバンドのツアーだった。女の子が黄色い声をあげて、ホテルの外には一目でも彼らの姿を見たいというキッズの集団がバンドを待っていたわ」
ジョン「雑誌の表紙になったり、世界中のスタジアムやアリーナをソールド・アウトにしたり、オレはそういうバンドにいたんだ。黄金時代だったね」
リッチー「世界一ビッグなロックバンドだった。若くて血の気の多いアメリカン・ボーイズが世界中を旅したんだ。楽しいことがいっぱいあったよ」
ナレーター:ジョンはアズベリーパークで習ったことを忘れず、その生のエネルギーとショウマンシップを毎晩世界のステージで披露しました。Slippery When Wetはソングライターとしても成熟の域に達した証拠としてジョンには重要な意味がありました。
ジョン「最初の2枚のレコードでは、ソングライティングを学んでいる段階だった。でも3枚目のアルバムで、身近な人の実話を元にしたフィクションを書くのがいいと気付いたんだ。そうやってできた最初の物語がLivin' On A Prayerなんだ」
It's the factory worker, the guy on the street, the waitress or the secretary, the real people of America, that's what he is writing about, and that's who he is singing to. - DESMOND CHILD
People wanted to be Tommy and Gina, they still do. - JON
デズモンド・チャイルド「工場で働くそのへんの通りにいる人間が主人公で、ウェイトレスでも秘書でも、アメリカ人のありのままの姿を彼は書いたんだ。そして彼はそういう人達に向けて歌っているんだ」
ジョン「みんなトミーとジーナになりたかったんだ。今でもね」
ナレーター:Slippery When Wetの息を飲むほどの成功とそれに続く88年のNew Jerseyによって、BJはその時代で一番ビッグなロックバンドになりました。彼らは8つの強力なトップテン・シングルでラジオを独占し、世界中のスタジアムでソールドアウトコンサートを行いました。(89年ジャイアンツ・スタジアムの映像が入る)
ジャーナリスト「グループとしてとてもうまくいってたようだったわ。性格はまったく違うのにうまくハーモニーがとれていたの。ジョンはもっと物静かで神秘的で、あまりハメを外さないタイプ」
誰?「最初の頃からビジネス面により焦点をおいていたのは、他でもないジョンだったよ。契約とか、これからの展望にずいぶん気を配っていた」
デズモンド・チャイルド「音楽とビジネスを両立させられなかったバンドを個人的にたくさん知ってるけど、ジョンのリーダーシップが他のバンドとの違いを生んでいるんだよ(長髪のジョンが書類を脇にかかえている映像が映る)」
ナレーター:2回におよぶワールドツアーとメディアへの頻繁な露出に、ジョンはだんだんと危機感を感じ始めてきました。自分の名前を掲げたバンドのリーダーであるというプレッシャーと責任感が28才だった彼を次第に深刻な状況に追い詰めていったのです。
ジョン「もし君がSlippery時代のことをバンドの連中に聞いたら、きっと君は別 の2つのバンドの話だと思うだろうね。だってオレの思い出は・・・競馬の馬みたいに目のわきにブラインダーをつけたような感じで、健康状態も悪かったし、240回のショウで歌うことに疲れ果 てていて・・・」
リッチー「ジョンはボロボロだったよ。声帯の腫れを抑えようと首にステロイドを打っていたんだ。オレ達はまだガキで、知らなかったんだよ。ジョンがスーパーマンのタトゥーを入れて???????気付いたんだ」
ジョン「別のショウ、別の大陸、別の時間帯、別のコルチゾン注射・・・こうなってしまった状況を考えるとおぞましい気分になったよ。最初はみんなで『よし、3つ数えたらこのオルガンをステージに上げるぞ』そういう協力関係だったのに、いつのまにか百人もの人間を雇って飛行機やらバスやらトラックやらで世界中を走り回っていて、そこにはもう純粋に楽しむ気持ちなんてなかった。もうやりたくなかったんだよ。でも、その場所に戻らなきゃいけなかったんだ」
ナレーター:1990年、28才のジョン・ボン・ジョヴィは音楽業界のトップに辿り着いた果 てに、そのロックスターダムと共に燃え尽きてしまいました。
ジョン「バンドは2年の休息期間に入ったから、その間にそもそもオレは音楽業界の何に惹き付けられたのかとか、音楽の価値を再評価することができたんだ」
ナレーター:この休息期間にジョンはウエスタンのヒット作、ヤングガンの主演俳優であるエミリオ・エステベスと出会い、二人は友だちになりました。ジョンはエミリオが取り組んでいるヤングガンの続編、ヤングガン2のために曲を書くことにしました。
ジョン「それで家に帰ってBlaze of Gloryと、他にも数曲書き上げて、撮影現場のサンタフェに持っていったんだ」
エミリオ・エステベス「ジョンが『曲を書いたから聴いてほしい』って言うんで、『もちろん』って言ったら彼は腰掛けてノートブックを広げて、アコースティックギターでBlaze of Gloryを弾き始めたんだ。・・・アゴが外れたよ」
ジャーナリスト「根無し草というのがジョンの心境だったんだろうね。町から町へと渡り歩いて・・・まるでデスペラードか一匹狼のガンマンのような気分だったんだと思う」
リッチー「町に着いて、ショウをして、そこにいた誰かと楽しい時を過ごして、去って行く、次の夜もその繰り返しなんだ。だからちょっとアウトロー的なところがあるよね」
ジョン「思い返してみれば、Blaze of Gloryで書いたことは50%はビリー・ザ・キッドのことで、50%はオレ自身のことだったんだ」
エミリオ・エステベス「あの曲は大ヒットして、ゴールデン・グローブ賞はとるし、オスカーにはノミネートされるし、彼のキャリアの様を随分と変えることになったと思うよ。人々はジョンを違った目で見るようになったと思う」
It was a wonderful sense of the private achievement, but when the phone rings, and they say "Hey, your record is NO.1." , you go, "OK." and hang up the phone and there was.....no one to high five with. -JONジョン「一人で成し遂げた偉業だと思うと素晴らしいと思ったよ。でも、電話が鳴って、『君のレコードがナンバーワンになったぞ!』と言われて、『わかった』と言って電話を切って後ろを振りかえっても、ハイファイブする相手が誰もいなかったんだ」
テロップ:オレ達はファンのためにプレイするんだ。だってアルバムを買うのは彼らなんだから。評論家はタダでレコードを手に入れるんだぜ 一 ジョン
ナレーター:ジョンのソロアルバムを経て、バンドは1992年に再びロックシーンに帰って来ましたが、アメリカのポピュラー・ミュージックの激変ぶりを浮き彫りにする結果 となりました。
ジョン「Slipperyのようなレコードを作って、New Jerseyのようなレコードがそれに続いて、さらにBlaze of Gloryみたいなビッグなソロまで作ると、『90年代にようこそ、さぁ、この1、2、3をどうやって打ち負かす?できねえだろ?』て思ってしまうんだ。・・・できたんだよ。カート・コバーンのバンドが出て来て、まともに一撃食らったのさ」
ジョン・カロドナー「90年代前半、ロックシーンは様変わりして、ニルヴァーナやパール・ジャムのようなバンドが広く支持を集めるようになったんだ」
ジョン「アメリカのラジオは一斉にオレ達に背を向け始めた。New Jerseyの時のように保証された5つのシングル・ヒットの代わりに時折訪れる偶発的ヒットに頼らざるをえなくなったんだ」
ナレーター:BJは80年代の頃のような大きな期待に応えて生き抜こうともがいていました。1992年のKeep the Faithと、1996年のThese Daysのアメリカ国内での売り上げは、それ以前のアルバムセールスの4分の1にも届きませんでした。
ジョン「ある日突然シアトル出身のふりをしたり、???しないよ。だってそうじゃないんだから」
デズモンド・チャイルド「BJのメッセージはポジティブで、生き生きしたものなんだ。皮肉っぽくて暗いものではない」
ジャーナリスト「音楽や世界や人生すべてについてひどく悲観的なことを歌うニルヴァーナのようなバンドと比べると、BJの姿勢はまったく違っていたの」
雑誌編集者「ジョンはよく言っていたわ。『人は麻薬や酒やトラブルの話をいっぱい持ってるああいうロックバンドを美化している。でもBJのようなバンドの場合、出ていってそういう話をみんなに売ろうものならもっと批判されるね』って」
ジャーナリスト「それはポップ・ミュージックで、たいした葛藤もなく、ぶち当たる壁も特にないままうまくやってきたことが評論家には面 白くなかったんだと思うの」
リッチー「ジョンは最高の曲を書こうと、最高のアルバムを作ろうと、それはそれは努力していたよ。ステージに出れば全身全霊を傾けて・・・それで批評家が何をしたかと言うと・・・バンッ!(鉄砲を打つふりをする)」
ジョン「山も谷も経験したよ。谷がどんなものかも知ってる。でも気にしないよ。自分をみじめだと思ったりしないし、自分がやってる仕事が価値のないものだと思ったりもしない」
テロップ:音楽ってのは車庫でも学べるものなんだ。演技は本当の職人芸さ 一 ジョン
ナレーター:自分ひとりで新しいものへ挑戦しようと、1992年、ヤングガンの撮影にインスパイアされたジョンは、ケビン・クラインやミッシェルファイファーの演技指導を務めたことで知られる演技コーチ、ハロルド・ガスキンのもとを訪れました。
ガスキン「彼は『真剣なんです。本当に演技がしたいんです。オレはジョン・ボン・ジョヴィだから、ロッカーの役が求められているからちょっと出て行って出演するとか、そういうのはイヤなんです』と言ったんだ。ガッツがあるなと思ったよ」
ジョン「最初から始めたんだ。謙虚さも学んだよ。オレのすべての行動に対してね。その頃のオレは自家用機で旅をして、世界中のスタジアムでプレイするすごく人気のあるロックスターになっていて、そういう状況にいるとダメになりかねない。音楽は万能だ、こんなのたやすいことさ、オレ様は・・・ってね。・・・大間違いだよ」
ガスキン「彼にとってはとても危険なことだと思った。だって彼はとてもポピュラーだから。だからここではそういう余計なものを取り払うことにした。(←ごめん、ここの訳違うかも)」
ジョン「彼はこんなふうなんだ。『遅い!もう一度やれ!じゃなきゃ出て行くんだな』とか、『待ち合い室で待ってろ、まだ準備ができてないんだ』」
ガスキン「でも、誇りをくじくつもりじゃなかったんだ。彼の『自分』に対する見方を取り払おうとしたんだ。とても重要なことだと思ったからね。それが私のやり方なんだ」
ジョン「ものすごい時間と労力をかけてやったことに対して、彼はこういうボーナスをくれたんだ。『最低だ!』こういう言い方するんだよ!(笑)『ぜんぜんダメだ!』てさ(苦笑)」
ガスキン「そしてついにこう言ったんだ。『ジョン、そろそろ外に出ていい。準備はできた。心配せずに行け。もういいんだよ、やってみろ』ってね。背中を押し出したくらいさ」
ジョン「突然、勇気を与えられたんだ。『オーディションを受けてみろ。どうなるかやってみろ。自分を開花させてみろ。一匹の旅するポニーから脱皮するんだ』って」
ナレーター:1995年、3年間の演技レッスンとオーディションの落選を経て、ジョンは初めて『ムーンライト&ヴァレンチノ』で塗装工の役を勝ち取りました」
監督「あの役は配役を決めるのにとても苦労してね。ある日、プロデューサーの一人が私のオフィスに来て、『あの役にジョン・ボン・ジョヴィはどうかしら?』と言ったんだ。私は言ったよ。『何だって?シンガーの?あのロック野郎か?』って」
エリザベス・パーキンス「ジョン・ボン・ジョヴィのような人に会う時って先入観を持ってしまうでしょ。80年代の髪型をしたロックスターで・・・」
監督「彼が座って、セリフを読み始めた瞬間・・・ハッとしたよ」
エリザベス・パーキンス「そこには演技がなかったの。演じていたんじゃないのよ。ただ、役そのものだったの。いままで誰もやったことがなかったようなことよ。心を消していたの」
ジョン「最初の撮影は数人でのシーンだったんだ。カメラがあって、オレは家を塗るためにそこに車でやってくる。みんな一瞬にしてすごい演技に没頭して、オレは実績のある役者達の中でとてもナーバスになってたよ。個人的にいままで経験がなかったからね」
エリザベス・パーキンス「彼が持っている二面性がとても魅力的なところだと思うの。だってあんなにカリスマ性があるのに信じられないほど地に足がついているんだもの。そういう人ってあんまりいないのよ。トム・ハンクスと仕事した時のことを思いおこさせるものだったわ」
監督「ただ一つ懸念していたのは、みんなが彼をスターだと知っていたことだ。この役はそれを絶対に感じさせてはいけない役だったからね」
(映画のシーン。主人公が『あなたは本当はアーティストなんでしょ?家の塗装は副業なのよね?』と聞く。『いいや、オレは塗装工さ』と答えるシーンが入る)
監督「彼はそれを最初のテイクでやってのけたよ。『本当にもう一度やらなくていいんですか?』と聞くので、『なぜ?君はやってのけたのに』って言ったよ」
(エリザベスとのキスシーンの映像が入る)
ジョン「数年間を部屋の中でコーチと過ごしたんだ。ヒゲずらにたばこを手にしたコーチとラブシーンを練習してたんだよ(笑)それが演技ってもんさ!(笑)エリザベス・パーキンスのようなキレイな女性が相手じゃなかったんだ」
エリザベス・パーキンス「楽しんだわよ!(笑)美術担当の女性や、私の事務所の女性とか、みんながジョンを見に来て突然の人だかり(笑)彼は『どうしてこんなに人がいるんだ?昨日何かあった?』と言うので『違うのよ、ハニー。みんなあなたが私にキスするところを見に来たの』って」
ナレーター:1996年、ジョンは初めての主演を映画、『リーディングマン』で勝ち取り、ロビン・グランジを演じました。
ジャーナリスト:ロックスターがやりそうな役ではあるけれど、みんなが思っているようなやり方ではなかったんだ。ジョンはそのキャラクターを謙虚で愛されるべき人物にして、もちろんそれは彼のウソなわけだけど、彼がどんなふうにして周りの人間を操っていくのかを見ているうちに、映画の最後には、登場人物が彼に魅了されているだけじゃなく、観客も彼に魅了されていることに気付くんだ」
ハロルド・ガスキン「彼はいつもみんなをあやつっているんだ。それをジョンは楽しんでるんだよ(笑)見ててスリルを感じるね」
ジョン「オレは彼が好きだったね。本当はロビン・グランジはコメディアンだと思った。コメディアンという意味で、彼はみんなの期待どおりの人物だったんだ」
ナレーター:『リーディングマン』の後、彼はハリウッドのプレッシャーの外でインディペンデント映画に出演し、幅広い役に挑戦しながら演技のスキルを磨きました。そしてスタジオのメインストリームに仲間入りし、2000年、ハリウッドのブロックバスター『U-571』で海軍の将校役を演じました。この重要かつ危険な任務に赴く将校役を演じることは、彼の俳優としての最大の試練でもありました。
モストウ監督「彼をこの映画に起用することに一抹の不安はあったよ。私はとても現実的な歴史映画を作っていたわけだから。だから撮影が始まる前にジョンに言ったんだ。『君は他の人の2倍がんばらなければいけないよ。なぜなら君はこの役を威厳を持って演じる努力をして、なおかつ、その倍努力して君がジョン・ボン・ジョヴィだということを私に忘れさせなければならないんだ』とね」
ジョン「一番の賞賛は『U-571』を見た友だちが『あれがお前だったなんて、わからなかったよ!』って言ってくれることだね」
ジョン「自分を至近距離で殺そうと思っている奴が確かにいて、そいつがどこに隠れているかもわからずに、狭い潜水艦の中を進んで行く状況を想像できる?」
ジャーナリスト「彼の不安や恐怖の表情はとても純粋で、『ディアハンター』の時のクリストファー・ウォーケンを思い出した。彼の演技はそのレベルに達している。恐怖と緊張感がみなぎっていたよ」
テロップ:侵されることのない安全な場所、そこはオレのいる場所じゃない 一 ジョン
まだ終わりじゃないんだけど・・・残りはソロの話と、総まとめって感じだからここまででいいかなぁ?(笑)
Special thanks to M-san for sending me this video.