Live at the Starland Ballroom

imageAt the Starland

Jon came back to his hometown with his old friends

「今日はBon Joviでは普段やらない曲をやるぜ」2009年2月23日、ジョンの故郷、ニュージャージー州セイヤーヴィルにある小さなクラブのステージに立ったジョンは、昔話を織り交ぜながらリラックスムードで約2時間半のライブパフォーマンスを行ないました。

ファンクラブトリップ行ってきました〜。激務はとりあえず1月でひと段落つくだろうと思っていたので、2月なら行ける!もう何でもいいから行けるときに行ってやる!と思って、詳細もわからないまま申し込んでいました。正確にいうと応募の時期は深夜残業真っ最中の時だったので、BSWJBJのサイトもまったく見ていなくて、BJ友達にチケットを取っていただきました。詳細がわかって、場所がセイヤーヴィルと聞いた時には「なぁんで極寒の時期にこともあろうにあんな交通の便の悪いさびれた町でライブすんのよぅ!」と一気にテンション下がってしまったのですが、ま〜ものは考えようで、ジョンが育った町でライブ見る機会もそうそうないし、オツなものかもしれないと無理矢理気持ちを切り替えました(笑)その後Googleのストリートビューで会場の周りの様子を見た時はまたまた絶句しましたけど…(苦笑)


→ちなみにここ

マンハッタンで一日観光した後、Sayrevilleの隣町、East Brunswick(たしかリッチーが育った町)のホテルに移動して、ランチを食べた後Sayrevilleに向けてタクシーで出発。ここに来るのは6年ぶりでしたが、冬だからでしょうか?どんより曇っていた日だったからでしょうか?昔来た時よりも何だかさらにさびれてしまったような…。改めて思ったのは、本当にここはブルーカラーの町だということ。中流には届いてない。トミーとジーナがまだいる場所。まさしくLivin' On A Prayerが生まれた場所。

林の中をしばらく走ると、突如として広大な駐車場が出現。寂しい町には似合わぬ程の無数の車が駐車してあって、その駐車場の奥の建物の前に無数の人、人、人。タクシーの運ちゃん(白髪のおじいさん)はこの様子にびっくり仰天。目を丸くして、「一体、今夜ここで何があるの?」と。「Bon Joviです」と言うと、大きくうなずいて納得したように「ジョン・ボン・ジョヴィによろしくな!」と言って去っていきました。早く来ても先着順じゃないから並ぶなというBSWJBJの忠告を100%信じていたわけじゃないけども、受付開始時間より早く到着する根性はなく、セイヤーヴィルの会場、Starland Ballroomについたのは3時頃でした。アルファベット別に4列か5列ほどの列が出来ていて、自分の名前のアルファベットの列に並んでそこでチケットを受け取ったのですが、それぞれの列ごととはいえ、早く並んだほうが早い番号の整理券を受け取ることができたようでした。私たちは幸いにも比較的早いほうのようでしたが、それでも前に200人くらいは並んでいたかな。

この近辺は青森と同じ緯度で、寒流が流れているからほんと寒いんです。でも氷点下で強い風が吹いているにも関わらず、周りのアメリカ人は薄着で平気な顔して並んでいる間、ペラペラペラペラ、ピーチク、パーチクおしゃべりに興じていました。日本人と体感温度が違うのは夏の冷房の強烈さでうすうす気づいてはいましたが、前の人のジーンズを見つめながら、「きっとこの下にタイツなんて履いてないんだろうな〜」なんてことを思っていました。よしさん曰く、ライブでタイツは厳禁らしいけど、私は我慢できずにジーンズの下に厚手の黒タイツ履いてきちゃった。でもジーンズが冷えて冷たい!冷凍庫で冷やしたジーンズを着るのを想像してみてください。まさにそんな感じ。全身冷凍庫漬け。ジョンに会うにはこんな苦行に堪えなければいけないのか…いったい私はいい年してこんなところで、何やってるんだろう…とミゼラボーな気持ちになっていた目の先に写ったもの!それは!マットが温かい湯気を立てたコーヒーを自分用に一つだけ、両手で大事そうに持ちながら、建物の中から出て来た姿でありました!「このバスマットがぁあああああ!!!そのコーヒーよこせ!」地蔵の私は声にならない叫び。あなたって本当に絶妙のタイミングで人を逆上させますよね?BJTVで脳天気さを発揮したマイクさんは信じられないことに半袖姿で出てきて、寒い様子も見せずに携帯電話で誰かと話していました。信じられません。冷気で頭がもうろうとしてきた私はついに幻覚を見ることに。駐車場を歩いているジョンです。「ジョン!!!」叫んだのですが、周りの人はまったく反応しません。なんでみんな気づかないの?ジョンが会場入りしてるのに!指を差して「ジョン!ジョン!」と一人騒ぐ私。さすがに一人で騒いでいるのはおかしいと気づいた私。よ〜〜く見たら、似ても似つかぬおじさんでした。
 
 
さてさて、やっと開場。半円のステージの周りにはすでに人がいっぱい!友達の話でジョンのマイクの真正面に行くとマイクが邪魔で顔が隠れると聞いていたので、少しずれた位置に一目散に駆け寄る。私の前には7〜10人くらいの人がいたと思うのですが、それでもステージが近〜い。ステージの高さもおそらく私の腰くらいじゃないかな?まぁ、普通の町のクラブだもんね。横浜ベイホールってこれくらいだったかな?渋谷のクラブクアトロクラスかな。

満員電車状態であと2時間近く棒立ちで待つのかと思うと気が遠くなる。後ろを振り向くと、人、人、人。むむむ、これはとても抜け出してトイレに行って戻ってこれる状態ではない。一度はあきらめる。でもこのまま立ってるのはツライ。しゃがんでみる。人の足が林のようで、意外と空間があって心地よい。しばらくしゃがんでいると周りの人が心配し始める。具合が悪いと思ったらしい。むっくり立ち上がると、前の女の子が「アーユーオーケー?」と。この極限状態で皆さん優しい。私の前にはオーストラリアから来た女の子とオーストリアから来た女の子がいて、自己紹介をしあっている二人の会話を聞きながらひたすらボ〜〜ッと待つ。オーストラリアの子はノースリーブ。寒くないのかしら?若いわね〜。…う〜ん、やっぱりここらでトイレに行っておかないと、ライブの最中に行きたくて気もそぞろになってしまいそう。覚悟を決めて友達に「私が戻ってこなかったら、終わったら出口のところでね」と言い残し、いざレストルームへゴー!抜け出そうとすると、後ろにいた金髪巻髪のイギリス人の男の子が「出たいんだって!」と後ろに声をかけて道を空けてくれた。格好良いうえに優しいのね。ああ、私を覚えていて、またここに入れてね、と祈る気持ち。来た道から帰れば、ぬけたことを憶えていてくれる人が道をあけてくれたりしないかしら?世の中そんなに甘くないか。縫うように人をかき分けてようやく脱出して後ろを振り返ると、自分がいた場所は遥か彼方で見えない。来た道ももはやわからない。とにかくトイレへ。ああ、やっと座れた。そしてついでにクロークでダウンジャケットとマフラーを預けたのだけど、クローク代ってのがあって3ドルだった。クロークでお金取られたのは初めてだ。

さあて、問題はこれから!元いた場所に帰るのだ!人をかき分けて前に進むのだ!あんな思いして待ったのに今更一番後ろでなんて見れるか!たぶん躊躇してたら入れてくれない。これは確かな確信を持って、少しもたじろがずズンズンと前に進んでいくのがコツだ。まるで前に行くのが当然のように。意を決してぼなっち突進!人の間をかき分け、「ソーリーソーリー、メアイメアイ?」と言いながらズンズン進む。押されたことに気づいて振り向くと、押した本人はすでにだいぶ前に行ってるって作戦のつもり。たぶんもと来た道のはず、と思われるところを進んでみた。途中、「エクスキューズ・ユー!」と一回だけ嫌みを言われたけど、後は意外とすんなり進めて、気がつくとあの優しいイギリス人の男の子の前に。すぐに気づいてくれて周りの人を手で抑えながら前に入れてくれた。う〜ん、やっぱりイギリス人は紳士だわん。そしてついにもといた場所へ!戻ってきた私を見て、友達と、その前にいたオーストラリアの女の子はビックリ仰天。友達いわく、私がいなくなったことに気づいたオーストラリアの女の子は、私が具合が悪くなって後ろにさがったと思ったらしく、友達が「レストルーム」と説明したら「絶対戻ってこれないわよ!」と心配してくれていたらしく、その会話の直後に私が戻ってきたもんだから、すんごくびっくりしたらしい。たしかに目が真ん丸になって驚いていた(笑)わかるわー。私もまさか戻ってこれるとは思わなかったもん(笑)そう、こんなふうにGAってやつは本当に大変です。

私のどうでもよいトイレネタで前置きが長くてすみません〜。いよいよジョンの登場です(笑)

ステージ上ではギターテクの人達が忙しく動き回っていたのですが、2003年か2005年のライブ後に引退したはずのギターテクのLumpyさんにそっくりの人が!髪型とか髭もじゃな感じとかそっくりだったんだけど見間違いかな?ライブが始まるのは7時頃からかなと思っていたのですが、6時半過ぎか45分頃だったかな?マットが出てきて、ジョンの白いマイクスタンドを借りて何やら話始めました。内容はなんだったっけ〜?ライブ終わった後にお土産受け取って帰ってとかそういうことだったかな?

そしてステージ向かって左側から、見慣れない人がワラワラと現れたかと思うとキーボードに、ドラムにと次々に定位置に。なるほど、彼らがフレンズなのね?ジョンは?ジョンは?キョロキョロ探すといつのまにかマイクスタンドの前でニヤリ笑いながらギターを肩にかけ、それと同時に暗転。次の瞬間、オレンジの照明が会場を照らしたかと思うと、にぎやかなオープニングメロディと共にスポットライトを浴びたジョンが歌い出しました。ん〜?何かな、この曲は〜?たぶん初めて聞く曲だけど、サビがキャッチーなので、すぐにノリノリ。2曲目もよくわかんないけどノリノリ。Southside Johnny&The Asbury Dukesの曲だそうですね。そして「この曲は高校生の時に書いたんだ」と言って始まったのがRunaway!この曲はジョンがハタチの頃のデビュー曲ですが、実際に書いたのは高校生の時だったのだとこの時知りました。プロにもなっていない頃にこの完成度!ジョン、すごいじゃん!(追記:これは私の勘違いでした。YouTubeで確認したところ、“There are some shit that I wrote in high school.”『高校の頃に書いた曲(実際にはクソと表現 笑)もあるよ』でしたので、Runawayのことじゃなかったみたいです〜。ごめんなさい。Runawayはデビちゃんがいないからイントロのキーボードがなんだか締まりがないというか、スカスカな印象。比べることでどれほどデビちゃんが普段このイントロに力と思いを込めて演奏していたのかがわかったような気もしました。間奏もリッチーがいないから当然のことながらいつもとアレンジが違って、ジョンが一生懸命「負けないぞ〜!」みたいに独特のアレンジで弾くんだな(笑)過去にもリッチーがいてもあえてジョン自らリードギターを担当してこの部分を演奏したことがありましたが、その時と同じように弦に目を落として一生懸命でした(笑)リッチーのしなやかかつ、伸びやかな音と比べると、一本調子で、武骨な感じなんだけど、このアレンジも好きです。ボビーのギターも良かったです。
 
何曲目の後か忘れましたが、たしか、今まで何回君たちを僕のタイムマシーンに乗せたかな?みたいなことを言ったような記憶が。そして今夜はBon Joviとしては演ったことのない曲をやるよと言いました。話の流れから今回も過去の思い出の旅に連れていってくれるのだというのはわかりましたが、まさかPower Station Yearsの曲までやってくれるとは思いもしませんでした。未熟な頃に作った曲ってプレイするの恥ずかしいんじゃないかと思っていたから本当にびっくり。でも私はあんまり聴いたことがなくて…。ジョンが曲と曲の合間に思い出話を話したのですが、昔、Only LonelyのPV撮影で使ったこの建物は、一度はリッチーが所有していたのだそうです。「Richie once owned this place.」って。ええ〜!だってリッチーってその頃20代前半でしょ?リッチー何者?!(爆)しかもバーテンダーはドロちゃんだったそうです(笑)次々に明らかになる新事実。ていうか、せっかくなんだからOnly Lonelyをプレイして欲しかったよ〜。この曲大好きなのに。ドロちゃんと一度別れた時の曲で、バンドのみんなも離婚したり、精神状態があまり良くなかった時の曲らしいからあまりやりたくないのですかねぇ。

TAMAのロゴの前で歌うジョンはなんだかすごく珍しく感じました。いつもティコのPearlですもんね。キーボードもYAMAHAじゃなかった気がするのですが、私の位置からは人の頭に遮られてキーボードの人はほとんど見えませんでした。Lost Highwayツアーに同行していたジェフ・カジーさんと、もう一人奥にいたような?ボビーさんは実はだいぶ後になるまでステージ向かって左側にいたことに気づきませんでした…  ボビーさんは右側が定位置だと思い込んでいて、でもストレートヘアなので、あれ〜?ボビー髪型変えたのかな?  とか、最初マヌケなことを思っていたのですが、よくよく目を凝らしてみると右側にいたのはメキシコ系で、スタイルがよくて、顔ちっちゃくて、若くて、真っ赤なシャツがよく似合っている青年でした  メキシコ系というだけでアレックのことを思い出したりしました。ボビーの後ろにいたパーカッションの人はがっしりした体形の黒人のおじさんで、ジョンが「ピザのデリバリーみたいな気軽さで、呼ぶとすぐに飛んできてくれるんだ」というようなことを言ったら「ガハハ!」と豪快に笑っていました。

話が前後しますが、始まってまもなく、私が気になり出したもの…。それはジョンのもみあげ(笑)「なんなの、そのパッツンもみあげは!  」今は男性のもみ上げも自然に、ちょっと長めな感じが主流だと思いますが、90年代前半に流行ったパッツンもみあげを憶えている方はいらっしゃるでしょうか?耳の根元の部分で一直線に横に切りそろえられたもみあげ。なんかそんな感じになっちゃってて、それがもみあげだけじゃなく、パッツン切りそろえられた髪は耳を横断してるじゃないか!  わかってます。こんなのはささいなことです。音楽性には何の影響もありません。しかし目の前で見てると気になるっ。視線が知らず知らずにもみあげに集中(爆)今どきこんな切り方するスタイリストは首にしてまえっ!  (暴君ボナ)

ちなみにBabycakesさんご指摘の後頭部ですが、薄くピンク地肌が見えてしまうのはもうこの歳ではしょうがないですね。これだけ近い距離にファンがいるのに真後ろ向いてのげぞるしぐさを何度もするからにはジョンはまったく気にしていないのか、気づいていないのか?堂々としてて素晴らしいではないですか!(T▼T)誤解のないよう言っておきますが、私はジョンの薄毛についてよく話題にしてしまいますが、けっしてさげすんだりバカにしているわけではないのぅ。ただ、80年代のふさふさモップヘアをこよなく愛したファンとしては切ない気持ちになるのもまた事実で、それをツッコミに転化することで徐々に自分の中で消化しようと努力していると申しましょうか…(^-^;)老いは誰にでも平等に訪れるものですから受け入れていくしかないですね。ちなみにファンから「Happy Birthday!」と声をかけられたジョン。苦笑して「思い出させないでくれよ」みたいな、あまり嬉しくないみたいなことを言ったのでちょっと意外でした。そっか、やっぱりジョンも歳を取るのは嫌なのね。でも、毎年誕生日を無事に迎えられることを喜ぶべきだと思うぞ。ここまで頑張って生きてきた自分を褒め称える日にしてちょ!どこでだったか「昔はオレもかっこよかったんだ」(I used to be good looking.)と言うのでなんか笑っちゃいました。これは絶対「今も十分かっこいいわよ!」というファンからの声かけを待っていたにちがいない(爆)でも、笑われただけで終わっていたような気が(笑)
 
さてさて、曲の話に戻りますが、Power Station Yearsの頃の曲を選曲したということは、比較的高い音程も出せる自信があったのでしょうか、声も無理なく出ていたように思いました。こうして新旧ちりばめてやってもPower Station Yearsの曲だけ浮いてしまうということはなく、ポップなカバー曲やサウスサイドジョニーの曲とも相性よく混ざり合って、というか当時のジョンはサウスサイドジョニーに憧れながら曲を書いていたわけで、自然とサウスサイドジョニーの曲とテイストが似た曲を書いていたのだとしてもなんら不思議はなく、そういう意味で前半のポップな曲はどれもとてもしっくりとまとまったセットリストになっていたように思います。こういうポップな曲を歌っているジョンはいつにも増して若く見えてくるから不思議。キメのポーズもなんかかわいい〜♪

昔のインタビューで言っていましたが、地元のバーでカバー曲ばかり演奏していたジョンに、「ビッグになりたかったらオリジナル曲を演らなきゃだめだよ」と助言したのはブルース・スプリングスティーンだったそうです。ジョンの地元から目と鼻の先のアズベリーパークスのヒーローだったブルース。「自分のすぐ裏庭で成功した彼を見て、愚かにも自分だって不可能を可能にできるかもと思っちまったのさ」とのちにジョンはインタビューで語っていましたが、ブルースの助言を受けたジョンはその後、オリジナルにこだわって曲作りに専念するようになったと言います。やられたよぉ、ジョン。この選曲は実に心憎いよ。ライブを見ているうちにジョンが昔語っていた思い出話やエピソードが次々と脳裏に浮かんでくる。ジョンの故郷でライブを見るということはこういうことなのか。まるでアルバムを一緒にめくっているみたい。故郷を、ジョンの人生の軌跡を案内してもらっているみたい。

Destination Anywhereからの曲は通常のライブでいうと、バラードタイムにあたるのかな?さっきのポップな若々しい雰囲気から一転して、シックで落ち着いたブルーの照明の下で目を閉じて、頭をななめに傾けてしっとりと歌うジョン。Destinationがリリースされた97年当時は正直言ってこのアルバムが好きになれなかった。ソロとはいえ、BJでできなかったことを試してみたかったとはいえ、ジョンはこういう曲が好きなのか、これからこういう路線に向かって行ってしまうのかとリッチーが感じたのと同じ不安を私も抱えて、もんもんとしたのをはっきり憶えている。でもあれはもう12年も前のことなのねぇ。過ぎ去ったこととして不安も邪念もない純粋な気持ちで今あらためて聴いてみて、「あれ〜?こんなに良い曲だったっけ?」としみじみ。Midnight In Chelseaは正直いまだにシャラララが苦手だけども、Janie Don't Take Your Love to Townと、Every Word Was A Piece of My Heartはなんて素晴らしい!特にEvery Word Was A Piece of My Heartはホレボレするほど聞きほれてしまった。97年の武道館ライブを見逃してしまった私はジョンのソロ曲を生で聴くのは初めて。ああ、やっぱり生っていい。 
 
Lonelyをやる前に、本当はこの曲はWhole lot of lonelyというタイトルにしようと思ったんだけど、Whole lot of Leavin'って曲もあったからやめたんだ、みたいなことを言って笑っていました。Bounceにも似たようなタイトルの曲があったような。なんで似てきちゃうの?ネタギレ?(笑)

そしてふたたびアップテンポタイムに突入!ええっ!  うっそぉ、Blaze of Gloryからの曲をやってくれちゃうの?!Bang A Drum、Never Say Die、Billy Get Your Gunsの3連発にぼなっち悶絶!くぅう〜!まさかこの3曲をライブで聴けるなんて思わなかった!Young Gunsに出てくる赤茶けた荒野の大地を、スティールホースに乗って地平線までまっすぐ走ってみたいと夢見ていた私は、14年前の夏、卒業旅行で作戦決行  どうせこれをやるならBGMはYoung Gunsのサントラでしょうってことで、もよりのドライブインで買ったそのカセットテープを何時間もリピートしながら、地平線まで伸びるほこりっぽい道を走ったのでした。だからこの3曲を聴くと、自動的に赤茶けた大地と真っ青な空が脳裏に浮かんでくるのです。メロディって本当に思い出をありありと思い出させるものですよね。そんなわけでことのほかこのサントラに思い入れがある私には嬉しいサプライズでした。

ただ、あ〜〜はるばる来て良かった〜〜、と思わせたのは次のSomeday I'll Be Saturday Nightだったかもしれません。日本公演でも演ったはずだけど、なんだか聴くのは久しぶりな気がする。この曲を初めて聴いたのはマンハッタンのタイムズスクエアにあったホリディ・イン・クラウンプラザの部屋のバスタブの中。ラジオから流れてきて、すぐにジョンの声に気づいた。「新曲だ!  」と思ったのを今でも憶えている。初めて聴いた時のことを憶えているのは、この曲と、Lay Your Hands On Meと、Keep The Faith、IMLくらいかな。Everydayのエッサッサーバージョンも忘れられないけど(笑)Can't get worse than yesterday.この歌詞に10月〜1月の激務を乗り越えた私はジ〜〜〜ン。辛いことがあればあるほど、この曲は胸に響く。  I Love This Townと、Who Says You Can't Go HomeをSayrevilleで聴けたというのもとても感慨深いものでした。

アンコールの時だったかどうか忘れてしまいましたが、ジョン曰く、なんと今夜の音源をCDにしてイベント参加者に郵送で送ってくれると!マジですか?!  みんな拍手喝采。劣悪なブートよりいいだろ、みたいなことを言っていたような気が。いや、BSWJBJにしては素晴らしいアイデアですよ。去年、リンキンのライブに行った時、「今夜の音源は終了後、外のテントでCDで配るから」なんてことを言ってくれて、結局先着順でゲットできなかったものの、なんて粋な計らいだろう、BJも見習って欲しいと思ったものでした。この調子で通常のライブもよろしくお願いします。  

ニューアルバムorグレイテストヒッツのことはConfidentialのスレに書いたのでここでは詳しく書きませんが、どういった形にせよ2009年末のリリースに向けて、すでにリッチーと連絡を取ったりして作業を進めているようですね。ただな〜。いままでのパターンから言うと大体半年から一年は伸びるし、途中で計画が変わったりするからジョンの言うことは半信半疑で聞いていたほうがいいのかもしれませんね  ジョンもその辺のところは気にしているみたいで、あんまり言うとまたウソツキ呼ばわりされるからと、言えることと言えないことを考えながら、言葉を選んで話していました。やっと学習したのね、ジョン  そんな中でも確かな確信を持って「Trust me on this.」と言って繰り返し言っていたのが、今度のアルバムはエレクトリックギター満載のロックレコードだということ。この時のオーディエンスの歓声は半端なく凄かった!ジョンも手応えを感じたはず。ああ、本当に来年が楽しみですね。